5日(火)KE870にてソウルに向かい、トランジットしてKE705にて成田に戻った。
到着が集中豪雨で30分遅れたために相模大野行きの空港バスに乗れず、横浜行きの空港バスに乗り込んだ。
そのため、自宅に到着したのは深夜0:00であった。
中国国内ではオリンピックが3日後開催されるので、駅や空港の警備が厳重であった。
いまだに中国の人は床にさえ痰は吐くし、手鼻をかむし、列に並ばないし、調べもせずに「没有」は相変わらずだった。
物価は数年前と比べて高くなっていた。
中国の食事
4日(月)大連市内半日バスツアーにて友好広場・中山広場・世界貿易大夏展望台
旧日本橋・旧ロシア人街・労働公園・大連テレビ台・旧日本人街・星海広場、
老虎灘を見学した。
帰路、勝利広場地下にてお茶や土産物を格安に購入した。
清泉サウナであかすりとマッサージをして、旅の疲れを癒した。
夜は天津街の夜店巡りをして夕食を満喫した。
3日(日)瀋陽北7:30発T542便にて大連へ向かう。座席は軟座を駅にて購入した。
ホテルにチェックイン後、日本語ガイドが付く旅順半日ツアーに参加した。
二〇三高地・水師営会見所・東鶏冠山北保塁を巡る。
2日(土)定刻通り、5:00に瀋陽北駅に到着した。ホテルにチェックイン後、タクシーで福陵・九一八事変博物館・張氏帥府
瀋陽故宮博物院・昭陵を見学した。太祖ヌルハチが建立した大政殿や鳳凰楼は趣深さを感じた。
中央大街で旧哈爾濱市公所・旧哈爾濱一等郵便局・旧松浦洋行・モデルンホテル・防洪記念塔・松花江を見学した。
哈爾濱22:53発1522便にて瀋陽へ向かう。座席は硬臥中段を旅行社で取得した。
極楽寺・プロテスタント教会・ウクライナ寺院・東北烈士記念館を見学し、ロシア正教の教会である
ソフィスカヤ寺院の内部も見学した。正面には「最後の晩餐」が飾られている。
哈爾濱は「東方のモスクワ」「東方の小パリ」とも呼ばれているロシア色の濃い街である。
8月1日(金)9:00哈爾濱駅近くにバスが到着した。
タクシーにて七三一部隊遺跡と博物館を見学した。
反日の資料やパネルが多く飾られている。
今から70年前、「マルタ」と名付けられた約3000人の
中国人やロシア人が細菌兵器の犠牲者になった。
戦争中、人間が人間として盲目になってしまうのは
とても恐ろしいことだと痛感させられた。
寝台バスも満席で仕方なく通路で寝た。写真(かばんの場所)。とても狭くて息苦しい。
何度も深夜に目を覚ました。途中事故渋滞で哈爾濱まで14時間かかった。
久しぶりに「やられたな!」という気分だった。
7月31日(木)KE706にてソウルへ向かい、トランジットして
KE869にて大連に到着した。
空港にて飛行機で哈爾濱に行こうとするがすべて満席だった。
大連駅で哈爾濱までのチケットを30分程並んで求めたが
これもまた「没有」であった。
天気は小雨が降っていた。
哈爾濱・瀋陽・大連・旅順
2008年中国・哈爾濱・瀋陽・大連・旅順の旅日記
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